競走馬は生き物ですから、大人しい馬もいれば、激しい性格の馬もいます。
一般的には大人しい馬のほうが調教師や騎手の指示に従いやすいため、大人しい馬のほうが調教(教育)は行いやすいです。
しかし、競走馬の中には性格の激しい馬、いわゆる気性が荒い馬も存在し、気性が荒い馬のことを、気性難といいます。
気性難とは、落ち着きがなく、どこかイライラしていて怒りっぽい馬のことを指します。
気性難の馬はしつけがしづらいことから、大人しい馬と比較すると、競走馬には向いていないといわれています。
しかしながら、最終的にG1タイトルを6つ手にしたオルフェーヴルのように、気性難でありながらも名馬となった馬も存在します。
ところで、気性難というと怒りっぽいイメージから、気性難は牡馬(オトコ馬)に多くいるように思えますが、人間にも怒りっぽい女性がいるように、気性難の牝馬(オンナ馬)も数多く存在します。
今回は気性難の馬を牝馬に限定して、歴代の気性難の牝馬を紹介していきます。
2001年生誕のスイープトウショウは気性難の牝馬の中でも特に有名な馬です。
スイープトウショウはとにかく気性が荒く、競馬関係者の指示を聞かないことがよくありました。
ターフでよく見られたのがゲートに入らないことで、誘導員がどんなに指示を飛ばしてもスイープトウショウは全く動かないことが多々あり、レース発走時間が遅れることがしょっちゅうありました。
特に、古馬になってからはその気性難に拍車がかかり、2007年、スイープトウショウが6歳の時に出走を予定していた京都大賞典は、スイープトウショウが調教を嫌ったことで見送らざるを得なかったほどです。
ディープインパクトの引退レースとなった有馬記念においても一向にゲートに入ろうとせず、ようやくゲートに入った時は観客席から歓声が沸き上がったほどです。
それでも、一度レースに出走してしまえば、牡馬が相手であろうと結果を残したスイープトウショウは、秋華賞、エリザベス女王杯をはじめ、春のグランプリレースの宝塚記念では、39年ぶりの牝馬の宝塚記念制覇を成し遂げました。
最終的にG1ホルダーを3つ手にして引退し、現在も繁殖牝馬として活躍しています。
1991年のオークスを制したイソノルーブルは、調教中に助手を振り落とすほど気性が激しい馬でした。
レースにおいても我先に如何とばかりに逃げるスタイルを貫いた馬でしたが、逃げ馬としての能力は本物で、デビュー戦はレコード勝ち、オークスでは1975年のオークス馬であるテスコガビー以来、26年ぶりとなる逃げ切りで勝利しました。
そんなイソノルーブルの別名は「裸足のシンデレラ」です。
オークスも前に挑んだ牝馬クラシック初戦の桜花賞にて落鉄が判明し、イソノルーブルがパニック状態になって蹄鉄の打ち直しできず、片足は裸足のままレースに出走したのです。
片足が落鉄状態にも関わらず、イソノルーブルは5着に健闘しました。
しかし、このレースは場内アナウンスで発送前に落鉄のアナウンスこそ放送されていましたが、装蹄の打ち直しが失敗したことは一切告げられなかったことでファンから非難の声が殺到しました。
イソノルーブルの馬券を購入した人が、日本中央競馬界に損害賠償を求める民事訴訟まで行われましたが、結果的には
「装蹄の失敗を告知せずにレースが施行されても違法ではない」
として、原告の請求は棄却されたのです。
イソノルーブルは桜花賞の雪辱を晴らすべく、クラシック二冠のオークスを逃げ切り勝ちしましたが、続くエリザベス女王杯で大敗し、レース後に骨折が判明したことで現役を引退することになりました。
父は当時すでに繁殖牝馬として大活躍していたサンデーサイレンスで、母はオークス馬のエアグルーヴ。
祖父は凱旋門賞を制したトニービンで、祖母はエアグルーヴと親子でオークスを制したダイナカールという超が付くほどの良血馬です。
そんなアドマイヤグルーヴは現役時代にエリザベス女王杯を連覇し、母子三代に渡ってG1を手にしました。
しかし、アドマイヤグルーヴはやんちゃな馬で、イレコミも激しかったそうです。3歳の頃は距離が短い桜花賞トライアルのチューリップ賞やフィリーズレビューではなく、距離が長い皐月賞トライアルの若葉ステークスに出走したほどです。
牝馬相手には強い競馬を見せたものの、牡馬相手には苦しい競馬が続き、アドマイヤグルーヴが5歳になった年は、一つ年下の牝馬のスイープトウショウにも勝ちを譲るなど、惨敗が続きました。
しかし、当時12月に開催されていた阪神牝馬ステークスで有終の美を飾って引退することになります。
引退後は繁殖牝馬として活躍しましたが、2012年に胸部出血のために死去しました。
死去した年に産んだ最後の産駒が、後に皐月賞・ダービーを制することとなるドゥラメンテです。
ドゥラメンテは能力こそ高かったものの、2度の怪我に泣かされ、現役時代はG1タイトル2勝どまりでしたが、確かな実績を残したために、引退後は種牡馬入りしました。
無事に種牡馬入りしたドゥラメンテの産駒は2020年からデビューが予定されています。
ドゥラメンテの活躍により、アドマイヤグルーヴの血は今後もターフに継がれることとなったのです。
アメリカ生まれで日本で調教されたヒシアマゾンは気性の荒さが勝負根性となってレースで結果を残した馬です。
3歳(現在の2歳)のころから、同期の牡馬にひけをとらない活躍をしていたヒシアマゾンはクラシックの年も重賞で結果を残しました。
ところが、当時のクラシックレースは外国産駒は出走できない決まりとなっており、アメリカ生まれのヒシアマゾンは牝馬クラシックの桜花賞、オークス共に出走できませんでした。
この当時は秋華賞はありません。秋に開催されるエリザベス女王杯が一級戦を勝ち抜いた牝馬が最大目標にするレースでした。
ヒシアマゾンも例外なくこのエリザベス女王杯に挑み、この年のオークス馬であるチョウカイキャロルを退け、見事優勝しました。
古馬になってからも、オールカマー、京都大賞典と、現在でもスーパーホースが揃うG2で牡馬を蹴散らし勝利を手にします。
この年の暮れに開催された有馬記念では、この年の三冠馬であるナリタブライアンをはじめ、天皇賞(秋)を制したネーハイシーザー、ステイヤーのライスシャワーが揃いました。
有馬記念ではこれら一級戦の牡馬が出走したために5番人気で挑みましたが、後方から末脚を使って三冠馬のナリタブライアンに食らいついきます。牝馬らしからぬ競馬を見せましたがナリタブライアンには届かず、2着に敗れてしまいました。
その後に屈腱炎を発症し、有馬記念がラストレースとなりました。
気性の荒さが勝負根性となって、後方から末脚を伸ばす典型な追い込み馬であったヒシアマゾンは、同期はもちろんのこと、数多くのG1馬相手にも食らいつきました。
そのレーススタイルが非常に見栄えよく、現在、フジテレビのみんなのKEIBAで競馬予想をされている伊崎脩五郎さんはヒシアマゾンが制したクリスタルカップを20世紀の名レースにあげているほどです。
最終的にG1タイトル2つを含む、重賞タイトルを9つ手にしたヒシアマゾンは引退後、繁殖牝馬入りしましたが、2019年に老衰のため、亡くなりました。
マイルチャンピオンシップにおいて有終の美を飾ったシンコウラヴリイは、マイラー牝馬としてターフを駆け抜けました。
現在では名調教師として名高い藤沢和雄調教師が開業当時に調教した馬で、藤沢調教師が初めて手にしたG1タイトルはこのシンコウラブリイのマイルチャンピオンシップです。
そんなシンコウラヴリイも気性は激しかった牝馬の一頭ですが、気性が激しいというよりは常に全力で走る馬で、調教において、助手がどんなにシンコウラブリイを抑えても掛かり気味に、全力で走り切ったために調教時計は毎回よかったようです。
そして、シンコウラブリイは調教だけでなく、レースでも全力で走り抜き、通算成績15戦10勝(10-2-2-1)という誰もが認める成績をもってターフを去ることになりました。
ダービー2着で菊花賞を制したダンスインザダークの全妹であるダンスインザムードは、前評判の期待に応えるように、デビューから無敗で桜花賞を制しました。
桜花賞馬が次に目指すレースはオークスで、ダンスインザムードももちろん、オークスに挑みましたが、レース前の発汗とイレ込みの影響もあってか、4着に敗れてしまいました。
秋の牝馬G1の3戦目となる秋華賞では同じ気性難として有名なスイープトウショウに敗れての4着しまい、三歳牝馬決定戦は終わります。
最も、3歳の頃のダンスインザムードは気性難がささやかれ始めていたものの、この年はアメリカで開催されたアメリカンオークス、秋の中距離決定戦である天皇賞(秋)、秋のマイル王決定戦であるマイルチャンピオンシップで2着に好走していました。
ところが、古馬となった緒戦に選んだ京王杯スプリングカップで1番人気を裏切る9着に敗れると、続く安田記念ではまさかのしんがり負けに喫してしまいます。
ダンスインザムードのスランプは古馬になってから突然訪れ、4歳の春は全く見せ場なく終わります。
しかし、ダンスインザムードが再び開花したのは秋の初戦に選んだ府中牝馬ステークスで、初めてダンスインザムードに騎乗した北村宏司騎手がこれまでとは打って変わって追い込み競馬でレースを行いました。
着順こそ8着に敗れてしまいましたが、上がり3Fにおいて32.7秒というタイムを叩き出したことから、ダンスインザムードの新たな一面が垣間見れたのです。
この府中牝馬ステークスにおいて追い込みスタイルを見せたダンスインザムードでしたが、意外にも追い込みで競馬をしたのはこのレースと翌年の安田記念のみでした。
しかし、かつての自分の走りを取り戻したのでしょう。
ダンスインザムードは、続く天皇賞(秋)で13番人気ながらも果敢な先行競馬で3着に健闘し、この年最後のレースとなったマイルチャンピオンシップでも4着に入選することとなりました。
5歳になって初めて挑んだマイラーズカップにおいて、種牡馬として現在も活躍するダイワメジャーの2着に君臨すると、この年新設されたG1、ヴィクトリアマイルにおいて北村宏司騎手とのコンビで見事優勝し、初代女王となりました。
北村宏司騎手にとってもうれしい初G1だったのです。
完全にスランプから脱却したダンスインザムードは海外遠征したり、国内のビッグレースに出場したりし、この年の香港マイルを最後に現役を引退することとなりました。
プライムステージの父は当時輸入されたばかりのサンデーサイレンスで、母は重賞4勝馬のダイナアクトレスです。
1992年に生誕し、1994年の札幌3歳ステークス(現在の札幌2歳ステークス)とフェアリーステークスを制したプライムステージはデビューから早々と重賞タイトルを手にしました。
後に大型種牡馬となるサンデーサイレンスと短距離で結果を残したダイナアクトレスという良血馬ということもあり、確かな競争能力は受け継がれていたのですが、実はこの両親は共に気性が悪いことで有名で、あろうことか、プライムステージにもそれが受け継がれてしまいます。
そして、その気性の荒さが爆発したのはクラシック二戦目となるオークスのことでした。
プライムステージは桜花賞にて3着に好走したことから、オークス当日は4番人気の指示を集めたのですが、パドックからイレ込みが激しく、本場馬入場直後に、ロデオの如く暴れはじめ、騎乗していた岡部幸雄騎手を振り落とそうとします。
返し馬でも、ゲート入場直後もその苛立ちが収まることなく、5着に敗れてしまいました。
その後もローズステークスやエリザベス女王杯といった牝馬のレースに出走するも、勝ち星をあげることができず、1997年に引退することになりました。
オルフェーヴルの初年度産駒でもあり、半姉にファンタジーステークスを制したタガノエリザベート、クイーンカップを制したキャットコイン、愛知杯を制したワンブレスアウェイを持つロックディスタウンは、札幌2歳ステークスを制したことで、オルフェーヴル産駒初の重賞馬となりました。
しかし、繊細な馬でもあり、長距離輸送となった阪神ジュビナエルフィリーズでは1番人気に支持されながらも9着に敗れました。
この時手綱を握ったルメール騎手は、久々の長距離輸送がロックディスタウンに影響を与えたと述べられています。
3歳初戦に挑んだフラワーカップにおいても1番人気を裏切る13番人気でした。
そして、続くNHKマイルではいつも以上にかかっている状況だったようで、パドックでいきなり大きく立ち上がり、背中から倒れてしまいます。
幸い、騎手が騎乗する前でしたし、他の馬や人に危害を及ぼすことがなく、また、ロックディスタウン自身も怪我がなかったために、そのまま発走することとなりましたが、結果は大きく離されての18着でした。
その後も見せ場がなく、引退し、繁殖牝馬入りすることとなりました。
稀少な白毛馬であるブチコは身体に黒い斑点模様がある馬です。ただでさえ珍しい白毛馬であるうえ、ダルメシアンのようなブチ模様のブチコは多くの人に愛される馬でした。
主にダートで活躍していましたが、ブチコはものすごくゲート難な馬でした。
ゲート難とは一言でいうとゲートが苦手な馬で、ゲートに入ると入れ込んでしまう馬のことです。
初めてゲート難が露呈したのは船橋競馬場で開催された交流重賞のマリーンカップで、ここではゲートに入った途端にゲートをこじ開けて発走してしまい、競走除外となりました。
調教再審査処分を喰らいましたが、ゲート試験は一発で合格したブチコが次走に選んだのは麦秋ステークスでした。
しかし、この麦秋ステークスにおいても、ゲートに入ってしばらくしたのち、ゲートを潜り抜けてコース内に放馬してしまい、内ラチ柵を飛び越えようとして脚をひっかけてしまって出血してしまい、競走除外となってしまいます。
麦秋ステークスのあとの調教再審査、ゲート試験は一発で合格し、しばらくは問題なかったのですが、翌年緒戦に選んだ雅ステークスにおいて、再びゲート難を発症し、ゲートを潜り抜ける際にゲート扉を破壊してしまい、外枠発走となってしまいます。
このレース直後に、三度再審査処分を喰らいましたが、陣営はさすがにこれ以上の競走は厳しいと判断し、引退させることを決めたのです。
最後に紹介するのはこのヴァンパイアです。
かなり古い馬で、知る人ぞ知る馬ですが、今回紹介した馬の中で最も気性の荒い馬でしょう。
ヴァンパイアは1889年にイギリスで生誕した馬で、現役時代は2勝しかしていませんが、父がエプソムダービーを制したガロピンで、母方には名牝の祖であるJeu d’Espritがいて、血統背景が豪華であることから繁殖牝馬入りします。
しかし、ヴァンパイアは吸血鬼という名の如く、非常に気性が荒い馬で、近寄ろうとする人を片っ端から蹴ろうとします。なんとか種付けを行い、仔を出産しましたが、ある時、癇癪を起して自分の子供を噛み殺してしまい、周囲の人にも怪我を負わせてしまったことがありました。
本当ならヴァンパイアを他の種牡馬がいる牧場に輸送したかったのですが、それすらも危険であることから、繁殖牝馬として生き残るには、牧場内の種牡馬と交配するしか道は残されていませんでした。
ヴァンパイアと同じ牧場で管理されていた有力種牡馬の一頭がエクリプスステークスを連覇したオームという馬です。
オームには祖父にガロピンがいました。ヴァンパイアは父もガロピンです。オームと交配するということは、ガロピンの3×2のインブリードとなり、小さくないリスクがありましたが、百も承知で交配することになります。
そして、オームとの交配で誕生したのがフライングフォックスです。
フライングフォックスはガロピンの血を37.5%継いだ馬で、気性も荒かったといわれていますが、幸いにも体質に問題はなかったようで、至上8頭目となるイギリスクラシック三冠を成し遂げました名馬です。また、至上3頭目となる、デビューから無敗で三冠を制した馬なのです。
それ以外にもエクリプスステークス、プリンスオブウェールズステークスといったG1も制し、通算成績11戦9勝で引退します。
引退後は、種牡馬としてフランスに入り、そこでも大成功を収めました。
フライングフォックスの子孫にあたるテディは後にテディ系という父系の祖になります。
テディ系の仔にはアメリカ至上2頭目のクラシック三冠となるギャラントフォックス、そして、アメリカ競馬至上最高の名牝血統になるラトロワンヌがいます。
このラトロワンヌ系ファミリーはどんな舞台でも活躍することから、世界中で交配が行われたのです。それは、日本も例外ではなく、ラトロワンヌ系血統を持つ日本の馬も多いのです。
一例を挙げると
メジロマックイーンを輩出したメジロティターンの父のメジロアサマ
ジャパンカップを制し、ゴールドアクターやモーリスを輩出したスクリーンヒーロー
エリザベス女王杯で大逃げを披露したテイエムプリキュア
気性難の牝馬であるプライムステージ
ダートG1を3勝しているケイティブレイブ
などがいます。
メジロマックイーンの血を継ぐオルフェーヴルの産駒や、2020年にデビューが予定されているモーリス産駒にもヴァンパイアの血が継がれていることになるのです。
100年以上も前の話ですが、競走馬の血統は、大陸を超えて、海を越えて、世代を超えて脈々と継がれていくのですね。
近年の気性難の名馬というと、オルフェーヴルやゴールドシップの印象が強いと思います。
この2頭は共に牡馬なため、気性難というとオトコ馬の印象が強いのですが、気性難の馬は牡馬に限らず、牝馬にも存在します。
今回紹介した馬は気性の荒い馬の中でも、知名度の高い馬を紹介させていただきました。
今後、新たに気性難の牝馬が出てきたら紹介させていただきたいと思います。